平安時代の埋葬地である鳥辺野の端にあたることから、現世と霊界との接点として、小野篁の冥土通いの伝説を生み、人々の信仰を集めた寺院はどこか。
平安時代に造られた嵯峨天皇の離宮・嵯峨院の遺構として、大覚寺・大沢池のほとりに残っているのは何か。
平安京は南北約5.2km、東西4.7kmで、中央を朱雀大路が南北に走り、北方の大内裏に通じていた。この朱雀大路の幅員は約何メートルあったか。
平安時代に、来訪した外国使節の宿泊・接待のために使われた施設を何というか。
平安中期に制定された、律令の施行細則を集大成したものを何というか。
平安京造営の際の禁苑で、祈雨の道場ともなったのはどこか。
永承7年(1052)、父である藤原道長の別荘・宇治殿を仏寺に改め、平等院としたのは誰か。
平安後期、左京区岡崎には、天皇・皇族が造営した「勝」のつく6つの寺院があり、六勝寺と呼ばれていた。なかでも、白河天皇の発願により創建され、八角九重の塔で知られた寺院は何というか。
西国三十三所巡礼は、平安後期に僧侶の間で始まり、室町後期には一般にも普及した。次のうち札所寺院でないものはどれか。
承安4年(1174)、牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したなどの言い伝えがあり、現在も旅行の安全を願う信仰がある神社はどこか。
金閣寺は、室町幕府3代将軍足利義満が応永4年(1397)に造営した北山殿に始まる。義満の没後に禅寺となり、義満の法号から鹿苑寺と称した。通称の金閣は( 11 )のこと。( 12 )に臨んで建ち、一層は法水院、二層は潮音洞、三層は究竟頂という。境内には、金森宗和好みの茶席・( 13 )がある。 銀閣寺は、室町幕府8代将軍足利義政が文明14年(1482)、浄土寺跡に建てた東山山荘に始まる。義政の没後に禅寺となり、義政の法号から( 14 )と称した。二層の楼閣で、下層を心空殿、上層を潮音閣という。また、持仏堂の( 15 )は、付書院・違棚をもつ書斎の同仁斎などからなり、( 16 )の初期形態として貴重である。 西本願寺は、宗祖・親鸞の娘( 17 )が文永9年(1272)に建てた東山の大谷廟堂に始まる。天正19年(1591)に( 18 )が現在地に寺地を寄進し、慶長7年(1602)徳川家康から寄進された烏丸七条の地に教如が東本願寺を分立して以降、西本願寺と呼ばれる。滴翠園内にある飛雲閣は( 19 )の遺構と伝えられ、金閣・銀閣とともに京都の「三閣」と称される。一層には招賢殿や舟入之間があり、二層は三十六歌仙を描いた歌仙の間で、三層は( 20 )と呼ばれる。
平清盛の寵愛を失った白拍子に由来し、往生院の跡に建立された寺院はどこか。
天龍寺の法堂天井に描かれている龍は、「八方睨みの龍」として知られているが、この「雲龍図」の作者は誰か。
嵐山を流れる大堰川は、上流を保津川とも呼び保津川くだりでも知られているが、江戸時代初期に、この大堰川を開削し、保津峡を通れるようにした人物は誰か。
数え十三歳の男女が、福徳や知恵を授かるために参詣する、通称「嵯峨の虚空蔵さん」と呼ばれている寺院はどこか。
藤原定家の歌「忍ばれむ物ともなしに小倉山軒端の松ぞなれてひさしき」にちなんで、通称「軒端寺」と呼ばれている寺院の正式名称は何か。
嵯峨野小倉山麓にある俳諧道場であった楽柿舎は誰の閑居跡か。
滝口寺は、「平家物語」の滝口・横笛説話ゆかりの地として知られているが、滝口入道とは誰のことか。
室町時代に融通念仏の大道場として知られ、嵯峨釈迦堂とも呼ばれている寺院はどこか。
小倉山山麓にある二尊院の寺名は、二体の本尊に由来している。二体の本尊とは、釈迦如来ともう一つは何か。
愛宕神社は古くから鎮火の神として崇敬され、7月31日の夜半から8月1日にかけての参拝は、特にご利益が多いと言われているが、この参拝を何というか。
文禄3年(1594)、淀君が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し、火災による焼失後、淀君の妹の崇源院が再建した寺院はどこか。
泉涌寺の仏殿わきには百人一首で有名な「夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」の歌碑が建っているが、この歌の作者は誰か。
豊臣氏滅亡の引き金となった「国家安康、君臣豊楽」の銘文の入った梵鐘のある寺院はどこか。
成就院(清水寺)は、寛永6年(1629)に焼失したが、誰の寄進により再興したか。
高台寺は、豊臣秀吉の菩提を弔うため、妻の北政所が創建した寺院であるが、前身は北政所が生母のために建立した寺院である。その寺名は何というか。
高台寺の塔頭である円徳院の庭園は、自然石を巧みに配した桃山時代を代表する枯山水である。層塔の笠を利用した珍しい形の手水鉢があるが「何の手水鉢」と呼ばれているか。
産寧坂から円山公園にかけては、町並み景観の保存をはかるため、「産寧坂伝統的建造物群保存地区」に指定されている。次のなかで、伝統的建造物群保存地区に指定されていないのはどれか。
円山公園には、明治期にロココ様式を取り入れて立てられた「長楽館」があるが、この「長楽館」を建てた煙草王として有名だった富豪は誰か。
浄土宗の総本山である知恩院には、「知恩院の七不思議」があるといわれるが、次のうち、七不思議に含まれないものはどれか。
青蓮院は、粟田御所ともいわれ、天台宗三門跡の一つである。門前には天然記念物の巨木があり、一見の価値があるが、何の木か。
烏丸三条を東に行くと、現在京都文化博物館として使われている赤レンガの洋風建築の建物があるが、元は何の建物であったか。
錦小路は、平安京建設時から存在していたと伝えられているが、元は何という名で呼ばれていたか。
錦小路には、京野菜を販売している店舗もあるが、万願寺とうがらしは、元々どこで栽培されてきたものか。
新京極は、三条通と四条通の間約500mの繁華街であるが、いつ頃作られたものか。
寺町通の名前の由来は、都市改造政策によって洛中に散在する寺院をこの地に集中させたことによるが、この政策を行ったのは誰か。
江戸時代に作られた「堀川波鼓」には、京都の南北に走る通りを読み込んだ歌が登場するが、この「堀川波鼓」の作者は誰か。
祗園祭の山鉾巡航の順番を決めるくじ取り式は、現在京都市役所で行われているが、江戸時代はどこの寺社で行われていたか。
慶応3年(1867)、薩長同盟と大政奉還の立役者・坂本龍馬が、襲撃により暗殺されたのは、河原町通蛸薬師下ルの何という醤油商だったか。
河原町御池東北角にあった長州藩邸跡には、現在ホテルが建っているが、河原町通りに面して建っている長州藩士の銅像は誰か。
高瀬川を舞台にした小説「高瀬舟」の作者は誰か。
建仁寺の「風神雷神図屏風」(国宝)の作者は誰か。
智積院の「楓図」(国宝)の作者は誰か。
退蔵院の「瓢鮎図」(国宝)の作者は誰か。
西本願寺の「松と鶴図」(国宝)の作者は誰か。
平等院の「阿弥陀如来像」(国宝)の作者は誰か。
鞍馬寺の「聖観音菩薩像」(重文)の作者は誰か。
下記の狩野派の家系として、正しく並んでいるのはどれか。
下記の芸術家が活躍した年代順として、ふさわしいのはどれか。
千家十職は、千家の家元宗匠の好みや創意工夫で、茶道に必要な諸道具を調達する十人の職方である。中村宗哲家が何の職方か。
京都には、経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」が17品目あるが、次のうち指定品目に入っていないのはどれか。
冷泉家は800年の歴史を持つ「和歌の家」として、王朝以来の貴重な行事を現在まで伝えている。現在も行われている「乞巧奠」は様々な芸事上達を願う行事であるが、何の節句に行われているか。
鎌倉末期から南北朝期にかけ、種々の産地の茶を飲み分け、本茶と非茶を識別し、賭け物を争う茶寄合(闘茶会)が武家や庶民に流行したが、この時期本茶とされたのは、どこで生産された茶か。
下記の茶人が活躍した年代順として、ふさわしいのはどれか。
妙喜庵にある千利休作の唯一現存する茶室は何というか。
池坊は元来、聖徳太子の創建と伝えられる六角堂の坊の名で、代々池のほとりに住まいがあったため池坊と呼ばれるようになった。六角堂の正式名は何というか。
いけばなは、仏前に花を供える寺院の仏教行事に始まるといわれるが、江戸初期に後水尾天皇に召されて禁裏の花会を指導し、立華を大成させたのは誰か。
歌舞伎の祖とされる出雲阿国が興行したのは、五条河原の他にどこだったか。
能で、現在、京都に宗家が存在する唯一の流派はどれか。
狂言の普及と大衆化をはかった茂山家は、江戸時代すでに成立していたどの流派に属するか。
歌道、書道にも堪能で、「御家流」香道の祖とされ、室町時代最高の文化人と呼ばれた人物は誰か。
葵祭について
祗園祭について
時代祭について
京都御所について
京都市外の社寺について
清水焼について
京象嵌について
京都の伝統工芸について
町家について
京ことばについて
「寺院」と「その塔頭」の組み合わせ
「大徳寺の塔頭」と「その創建者」の組み合わせ
「寺院」と「その通称名」の組み合わせ
「茶道家元」と「その邸内に建てられた茶室」
「季節の行事」と「食べ物」の組み合わせ
「花街のをどり」と「行われる場所」の組み合わせ
「祭」と「行われる神社」の組み合わせ
「京菓子」と「ゆかりの神社」の組み合わせ。
「伝統芸能」と「関連する人物」の組み合わせ
「歌人」と「その歌人が詠んだ歌碑の建っている場所」の組み合わせ
江戸時代の自治組織である町組を基礎として、明治( )、日本最初の小学校64校が開校した。
琵琶湖の水を、発電や物資運搬、灌漑用水など多目的に活用するため開削された琵琶湖疏水は、( )が工事を設計管理し、明治18年(1885)に着工した。
明治28年(1895)、日本初の路面電車として、京都電気鉄道の( )が開業した。
平安神宮の社殿は、明治28年(1895)、平安京の政庁の中心であった( )の形式を縮小して復元したものである。
国立京都国際会館は、伝統的な合掌造の様式を現代建築に生かした建造物で、昭和41年(1966)に開館した.設計は( )が担当した。
昭和56年(1981)、当時、京都大学教授の福井謙一は日本人として初のノーベル( )賞を受賞した。
平成6年(1994)、世界遺産に登録された「古都京都の文化財」(京都市・宇治市・大津市)は、寺社・城郭あわせて( )で構成されている。
明治10年(1877)に建てられた赤レンガ造りの初代京都駅ビルから数えると、平成9年(1997)完成した現在のJR京都駅ビルは( )である。
平成9年(1997)、京都市でCOP3京都会議が開催され、( )について話し合われ、京都議定書が採択された。
平成15年(2003)から行われている「京都・花灯路」は、北は( )から南は清水寺までを花と灯りで結び、早春の風物詩となっている。
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