角屋 すみや
旧花街・島原の揚屋
島原は1641年(寛永18)に六条三筋町から移されたわが国最初の公許の花街です。当時四周は堀と塀で囲まれ門はその東辺北寄りに設けられていました。その後、1732年(享保17)には西辺にも門が設けられた。東辺北寄りの門は1766年(明和3)道筋と呼ばれていた道の東端である現在地に付け替えられました。東辺の門は1729年(享保14)には冠木門であったと考えられ、その後、塀重門さらに腕木門へと変更された1854年(嘉永7)8月の大火では島原の東側は大半が類焼しており、このとき門も焼失したと考えられます。大火後、門は再建されましたが、慶応3年(1867)5月には再び建て替えられました。これが現在の大門です。この門は本柱上の屋根のほかに後方の控柱上にも小屋根をのせた高麗門で、前には「出口の柳」が植えられ「さらば垣」がめぐられて、今日も当時の趣を伝えており島原の由緒を伝える地域の文化財として貴重です。
貴重な揚屋建築
揚屋とは遊郭ではなく、置屋から太夫(たゆう)、天神(てんじん)を呼び宴会を催した高級料亭でした。「揚屋建築」は大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配し、お寺の庫裏と同規模の台所を備えることを重要な特徴としています。
角屋は2階建ての木造建築で、間口が約31mと広く格子造り。門口から入って正面には大きな台所があり、その中は調理場と配膳場とに分かれています。調理器具の並ぶ水屋や生鮮食品を貯蔵する冷蔵所なども見られ、かつての情景が思い起こされます。
新撰組ゆかりの地
幕末の文久3(1863)年9月18日夜、新選組初代局長・芹沢鴨と新選組は、「松の間」で酒宴を催していました。その後、帰宅した壬生の屯所「八木邸」で芹沢鴨は寝込みを襲われて殺害されます。松の間での宴会が最後の晩餐でした。ここから眺める「臥龍松」は、龍が天に昇っていくような姿をしていることからその名がつけられ、京都指定名勝にも選ばれています。
- 所在地
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〒600-8828
京都市下京区西新屋敷揚屋町32 - TEL
- 075-351-0024
- 料金
- 大人 1,000円
中高生 800円
小学生 500円
- 時間
- 10:00~16:00
※毎週月曜日休館(祝日の場合は開館、翌日が休館) - 駐車場
- 無し (梅小路公園駐車場料金:2,500円/1日)
- 交通アクセス
- 市バス「島原口」「梅小路公園前」下車、徒歩10分
JR「丹波口駅」下車、徒歩7分
- 備考
- 2階の特別公開の座敷は事前に電話で申込必要。
入場料として別途大人800円、中高校生600円必要(小学生以下見学不可)
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