琳派をめぐる京の旅
京都には琳派ゆかりの地が数多くあります。琳派のはじまりの地と言っても良い光悦村のあった鷹峯の光悦寺と常照皇寺、光悦がデザインした庭園のある本法寺、宗達の代表作が所蔵されている建仁寺など…。京都にお越しになった際には琳派ゆかりの地やその界隈を回ってみるのも面白いのではないでしょうか?KYOTOdesignでは琳派ゆかりの地が入ったコースをご紹介しています。旅のご参考になれば幸いです。
琳派ゆかりの地
光悦寺
琳派の祖・本阿弥光悦が、徳川家康よりこの地を与えられ、一族や工匠等と供に移り住み芸術郷を築きました。光悦は、刀剣鑑定のほかにも、多くの才能に優れており、芸術指導者としても活躍しました。光悦が亡くなった後に、本阿弥家の位牌堂は本法寺の日慈上人によって寺に改められました。
三千院
自然の地形を巧みに利用した境内には、豊臣秀吉の建立と伝える客殿や宸殿が建ち、有清園・聚碧園と呼ばれる2つの美しい庭園があります。神坂雪佳作の御所車衝立を円融蔵宝物館で鑑賞することができます。
醍醐寺
醍醐の桜として有名で、豊臣秀吉もここで花見をしたといわれています。また宗達の作品が多く収められていて、醍醐寺と宗達の深い繋がりを伺うことが出来ます。2015年10月1日から2016年2月28日まで「宗達とその時代」をテーマに企画展が実施されます。※参拝不可の日が生じる場合があるので要問合せ
本法寺
琳派の祖・本阿弥光悦の菩提寺です。光悦が作ったとされる「巴の庭」や長谷川等伯作「佛涅槃図」などが納められています。その他にも光悦ゆかりの寺宝が所蔵されています。
善峯寺
桜と紅葉の名所として有名です。琳派400年に合わせて2015年10月・11月の土日祝日と11月10日~12月6日まで「神坂雪佳企画展-近代琳派の画家-」が開催されます。
妙顕寺
京都における法華宗を成す寺院で、発展に大きく寄与した寺院です。境内にある3つの庭の中の1つ「光琳曲水の庭」は尾形光琳の絵画を基に作られたといわれています。また、塔中の泉妙院には光琳とその実弟尾形乾山のお墓があります。(門の外から見ることが出来ます。)
琳派ゆかりの地とその界隈を巡る観光コース
本阿弥光悦ゆかりの地、鷹峯界隈をめぐる
日本にとどまらず、世界の芸術に大きな影響を与えたといわれる琳派。その祖とも言われる本阿弥光悦のゆかりの地、鷹峯を巡ります。
photo by hiro
琳派と縁の深いお寺をめぐる-寺之内界隈-
琳派や琳派の作家とつながりのあるお寺が集まる寺之内界隈を巡ります。
photo by hiro
東山七条界隈の国宝・重要文化財をめぐる
東山七条の界隈の重要文化財、国宝をめぐります。血天井で有名な養源院には琳派の大画家俵谷宗達が描いた襖絵「松図十二面」や白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵があります。
photo by 沙都
関連レポート
独特の工法で組まれた光悦垣「光悦寺」by kojiro
kojiroさんの光悦寺レポート。大虚山光悦寺(たいきょざんこうえつじ)がある洛北鷹ヶ峰の地は、元和元年(1615年)に徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が移り住んだ所です。本阿弥光悦の生家である本阿弥家は、室町時代から刀剣を鑑定してきた名家であったことから、光悦は幼いころから家業を通して、あらゆる工芸(木工、金工、漆工、皮細工、蒔絵、染織、螺鈿)知識を身に付けたそうです。その後、父が分家となり家業から自由の身になった光悦は、工芸品以外にも書画や能面、庭など、さまざまな芸術作品を創造するようになったといわれています。家康から九万坪ともいわれる鷹ヶ峰の地を与えられた光悦は、ここに草庵を建て本阿弥一族や芸術仲間、弟子、職人衆と共にこの地に移り住み、一時は55軒もの屋敷が並ぶ芸術村を作ったそうです。現在の光悦寺は、本阿弥家の先祖供養が行われていた位牌堂(位牌所)があった場所といわれています。
吉野太夫ゆかりの寺を訪ねる「常照寺」by kojiro
kojiroさんの常照寺レポート。江戸時代初期、本阿弥光悦が移り住んだ鷹ヶ峰。鷹ヶ峰の地にある寂光山常照寺(じゃっこうざんじょうしょうじ)は、元和二年(1616年)に本阿弥光悦から土地の寄進を受けた後、光悦の子・光瑳の発願によって、身延山久遠寺第二十一世・寂照院日乾を招き開創された日蓮宗の寺院です。この常照寺は、日乾に帰依し、「天下随一の太夫」と謳われていた二代目吉野太夫が、朱塗りの三門を寄進したことから、吉野の寺ともいわれています。十四歳で太夫となった二代目吉野太夫は、「寛永三名妓」の一人といわれ、容姿が美しいだけではなく、和歌、俳諧、書、茶道、琴、琵琶、笙、香道、華道など諸芸に秀でていたことから、その名声は遠く明国(中国)にまで聞こえていたそうです。
寺之内庭園巡りby hiro
hiroさんの寺之内界隈のお寺の庭園のレポートです。永仁2年(1294年)に妙法蓮華寺として創建されました。その後、衰退しましたが応永年間(1420年頃)に再興され、妙蓮寺となりました。重要文化財の長谷川等伯一派の障壁画や本阿弥光悦筆の立正安国論などの文化財も保有しています。桂離宮の造営を指図した妙蓮寺の僧、玉淵坊日首の作庭です。中央の青石は、臥牛石といって豊臣秀吉によって伏見城から移されたといわれています。十六の石とさつきの刈り込みや杉が配置されていて趣のある庭園です。
※このページの内容は掲載時点での情報です。変更となる可能性がありますので、お出掛けの際は事前にご確認ください。