方広寺
方広寺の釣鐘
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方広寺 ほうこうじ

国家安康の鐘

天下を統一した秀吉が東大寺の大仏にならって大仏殿の建立をはじめたのですが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長17年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成しました。完成後、落慶供養を行う手筈となっていましたが、銘文の「国家安康」「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられました。これが大坂冬の陣の導火線となったといわれています。大仏殿及び大仏は1798年の落雷により大仏、大仏殿ともに焼失、天保年間に再建されましたが、こちらも火災にあってしまい大鐘が吊られた鐘楼、諸将の名が刻まれた石塁や石塔だけが往時の遺構です。

梵鐘は京都三条釜座鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって1612年に製作されました。高さが4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tと、とても大きい物で、奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘(重要文化財)に指定されています。草花や鳥獣と人の現世・来世を描いた天井絵も当時のままで残されています。

弥次さん喜多さんの方広寺の話

江戸時代、神田の八丁堀に弥次郎兵衛と喜多八という二人の男がいました。供に怠け者で愉快な独り者。ある日、弥次さんが喜多さんに旅に出ようかと持ちかけます。一生一度の思い出に、伊勢から京都、大阪見物としゃれようじゃないか。家財を売り払って旅行資金を作り、日本橋から東海道五十三次の旅に出かけました。道中で泥棒に遭うなどしましたが、伊勢から京の都へたどり着いた二人。華やかな装いの女性に目を奪われながら歩いていると山門の上からのぞく大仏像を見つけ御堂へ入って行きました。中には金箔で美しく彩色された高さ19mの大仏がありました。豊臣秀吉が奈良の大仏に負けない大仏を造らせたとされ、二人は「手のひらに畳が八畳敷ける」「鼻の穴から傘をさして出られる」と驚きました。さらに穴の開いている御堂の柱を見つけ、弥次さんがくぐり抜けようと試みるが、脇差しのつばがつっかえて抜けなくなってしまいました。

所在地
〒605-0931
京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
TEL
075-561-1720
正式名
方広寺
創建年
1595年(文禄4)
宗派
天台宗山門派
本尊
大日如来
開基
豊臣秀吉
文化財
梵鐘(国・重要文化財) 石塁・石塔(国・史跡)
料金
境内無料
(本堂拝観は大人200円、中学生以下100円)
時間
9:00~16:00
駐車場
有り(6台、無料)
交通アクセス
京阪電車「七条駅」下車、徒歩約8分
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