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石川丈山の草庵「詩仙堂」

閲覧数 3464 投稿日 2014/07/27

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石川丈山

江戸時代初期の文人・石川丈山(いしかわじょうざん)は三河国の徳川家に仕える武士の家に生まれ徳川家康の家臣として大坂夏の陣に出陣しましたが、命令に背いたことから家康の怒りに触れ浪人となり、その後、林羅山の勧めによって藤原惺窩(せいか)に師事して儒学を学びます。

儒学はもとより、漢詩・書道・茶道・作庭にも精通していた丈山は、煎茶の祖ともいわれています。

この丈山が寛永十八年(1641年)にこの地に建てた草庵が、詩仙堂と呼ばれている凹凸窠(おうとつか)です。

凹凸窠とは起伏のある土地に建てられた草庵(建物)という意味で、詩仙堂というのは凹凸窠の一室であった詩仙の間のことを指します。

この凹凸窠を終の棲家と定めた丈山は、亡くなるまでの三十一年間をここで過ごしたそうです。

現在は多くの日本庭園で目にする「ししおどし(鹿脅し・猪脅し)」は、田畑を荒らす鹿や猪を追い払うための仕掛け(農具)でしたが、庭園に取り入れたのは丈山が最初だったそうです。

詩仙の間

凹凸窠の詩仙の間には、狩野探幽の描いた中国の漢晋唐宋の詩人36人の肖像画に丈山が隷書体で書いた詩とともに掲げられています。

36人の詩人の選定には丈山と親交のあった儒学者・林羅山の意見も求め、左右18人、それぞれの組み合わせに意味を持たせて掲げているそうです。

現在の詩仙の間は、近年(昭和三十八年)になって復元されたものです。

凹凸窠から眺める庭

凹凸窠の詩仙の間から眺める初夏の庭は、白砂が敷きつめられた周囲の丸く刈り込まれたサツキと、遠景の楓の緑が独特の雰囲気を醸し出しています。

この庭の魅力のひとつに、サツキの花が咲く季節と紅葉の季節では全く異なる姿(コントラスト)が楽しめることが挙げられます。

さらに、廊下を含めて広間のどの場所から眺めるかによって庭の印象が変わります。

四季を通じて参詣者の心を落ち着かせてくれるこの庭で、時の流れを忘れてみられてはいかがでしょう。

アクセス

京都駅から市バス5系統に乗り「一乗寺下り松町」で降りると東に歩いて5分ほどで詩仙堂の参道が見えてきます。

市営地下鉄烏丸線の北大路駅からは北8系統に乗ると「一乗寺下り松町」に行くことができます。

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