古の神域、上賀茂神社で桜と自然を愛でる
上賀茂神社、正式名称 賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、天武天皇当時の678年に造営された京都最古の神社の一つです。もとは、現在の京都エリアを開拓した賀茂氏の氏神を祀る神社でしたので、実際にはもっと古い時代から信仰を集めていたと言われます。平安遷都からは都の守護神として、また現在は厄除けの守護神として広く信仰を集めており、世界遺産にも登録されました。
上賀茂神社、一の鳥居
まずは上賀茂神社の正面玄関、一の鳥居を抜けると参道の両側に緑の芝生が広がります。お祭りの時に馬場として使われる広場で、春には桜が咲き、お花見の名所にもなります。
斎王桜の全景
この広場には名前を持つ桜の名木が五本あり、その一つがこの斎王桜です。斎王とは、伊勢神宮や上賀茂神社に派遣され、皇族を代表して神に奉仕する未婚の内親王のこと。「斎王桜」(さいおうざくら)は、その名に恥じぬ幹周2.57m、樹高10mの大木です。
桜の蚊帳
枝垂桜の横に伸びた枝振りを支えるため、木組みが組まれており、見事な樹形を維持しています。この下に入ると、四方を花に囲まれて、桜の蚊帳を吊ったように見えます。
ピンクの紅枝垂れ桜
京都に住む前は、桜といえば染井吉野でしたが、京都でお花見を重ねるに連れ、桜といえば枝垂桜になってきました。染井吉野は寿命が短い上、戦後に植樹されたものが多く、印象に残る古木・巨木がありません。また、単純に他所よりも枝垂桜が多いためと思います。そんな数ある枝垂桜の中でも、斎王桜は艶やかなピンクの花を咲かせるベニシダレザクラの代表ともいえる名木です。
次は御所桜
参道をさらに歩くと、「御所桜」(ごしょざくら)が見えてきます。御所にあったものを孝明天皇が下賜されたことに因んで命名されました。参道を振り返ると、朱色の鳥居と御所桜の見事な風景が楽しめます。
圧巻の御所桜
斎王桜より白い花を咲かせるシダレザクラで、同じく見事な枝振りを木組みで支えています。近くで見ると圧倒的な存在感ですね。
桜のテント
木組みの中に入ると、花弁に四方も頭上も囲まれ、さながら桜のテントに入ったように感じます。もしくは桜のシャワーを浴びるとでもいいましょうか。
桜の雨
御所桜のテント(?)から出ると、激しく枝垂れており、桜の風が吹いたように見えます。見る角度を変えたり、風で枝が揺れたりすると様々な樹形に変化し、見飽きるということがありません。
ここまで斎王桜と御所桜をご紹介しましたが、実は御所桜は早咲き、斎王桜と見頃が一週間程度ずれるため、一度に両方の桜を楽しむことはできません。まずは3月末に御所桜を、続いて4月初旬に斎王桜と、二度のお花見にチャレンジしてください。
外幣殿から振り返る
さて、上賀茂神社の桜を代表する二本を堪能したところで参道を進むと、提灯が多数吊られている「外幣殿」(げへいでん)が右手に見えます。外幣殿は、式年遷宮などで御本殿が建て替えられる際、一時的に御祭神に鎮座していただく建物です。1628年に建造された貴重な建物のため、国の重要文化財に指定されています。ここから参道を振り返ると、御所桜越しに一の鳥居が遠く見えます。
二の鳥居に向かう
外幣殿を過ぎると、いよいよ鮮やかな朱色の大鳥居、二の鳥居に行き当たります。鳥居は神域への入り口、拝礼して先に進みます。
細殿と立砂
二の鳥居を抜けると、「立砂」(たてずな)と「細殿」(ほそどの)が迎えてくれます。立砂は上賀茂神社の御神体である裏山の「神山」(こうやま、かもやま)を模したもので、鬼門に清めの砂をまいたり、玄関に塩を持ったりする習慣の起源だそうです。写真を拡大していただくと、辛うじて見えますが、立砂のてっぺんに松葉が刺してあります。何故、松葉を刺すのかは諸説あり、本当のところは分からないようです・・・。因みに神山は上賀茂神社の裏手2kmほど先にある、標高301mの小山です。
細殿はいわゆる拝殿ですから、ここでお詣りします。外幣殿と同じく1628年の建造で重要文化財に指定されています。
手水舎で身を清める
細殿の先に進むと、いよいよ神域も間近。橋殿近くの祝橋で「御手洗川」(みたらしがわ)を渡り、「手水舎」(ちょうずしゃ、ちょうずや)で身を清めます。この水は水源を神山とする地下水を汲み上げたもので、「神山湧水」と呼ばれる名水です。もちろん飲んでも大丈夫です。
玉橋に楼門(重要文化財)
お清めが済めば準備万端、手水舎から奥に進むと、朱色が美しい玉橋と楼門が迎えてくれます。因みにどちらも国の重要文化財です。玉橋は「御物忌川」(おものいがわ)に架かり楼門に通じる橋ですが、神官だけが使用でき、一般人は通れません。私たちは片岡社から片岡橋を渡って楼門に向かいます。楼門を抜けるといよいよ本殿・権殿ですが、写真撮影が禁止されていますので、お詣りに専念します。「本殿・権殿」(ほんでん・かりでん)ともに1863年の建造で国宝に指定されていますが、1863年といえば幕末の動乱期、西郷さんや龍馬に新選組が活動して京都の治安が極端に悪化したこの時期に、よくぞ大規模な普請ができたなと驚くばかりです。
岩本社に川のせせらぎ
無事に参拝を済ませた後は、御手洗川に沿って境内の東側を歩いてみましょう。写真は末社の一つ、岩本社です。木々や苔の緑が豊かな清流のせせらぎは、夏でも涼しく感じさせてくれます。上賀茂神社の特徴の一つは、御手洗川、御物忌川、ならの小川、神山湧水など、境内を縦横に流れる水に恵まれたことと思います。
渉渓園の曲水の宴
さらに東に歩くと山口社から渉渓園に入ります。写真の通り曲線豊かな水流があり、ここに盃を流して歌を読む曲水の宴が、毎年4月の第二日曜に開催されます。王朝時代の雅を彷彿とさせる行事ですから、斎王桜のお花見と合わせて観覧されても良いかと思います。
神域に残る豊かな自然
古来、神域であった上賀茂神社だけに自然が大切にされ、境内には巨木が聳え立ちます。写真の木は樹齢300年、ひとつの根から何本もの幹が伸びている様子から、ひとつに結ばれた仲睦まじい家族の象徴とされ、「睦の木」(むつのき)と呼ばれます。
ならの小川で散り桜を鑑賞してレポート終了
渉成園を抜けて「ならの小川」に出ると、少ないながらも散り桜が川面に見られます。散ってなお美しい桜を眺めつつ、本レポートはこれで終了です。ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。皆さんの旅行プランの参考になれば幸いです。
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