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初秋の清水寺レポート~音羽の瀧と能《田村》によせて
まずは仁王門。清水寺の正門です。
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そして西門です。後ろには三重塔が。西門から見える日没はとても素晴らしいそうです。
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本堂からは、子安塔が望めます。山々が見渡せる中、ぽんと浮かぶように朱色が映えるのが素敵ですね。
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境内を巡るなかで、この日いちばん見たかったのが、音羽の瀧です。
能《田村》には、前半に清水寺創建の物語がえがかれますが、それに先立ってこのような一説があります。
「頃もはや。弥生なかばの春の空。弥生なかばの春の空。影ものどかに廻る日の。霞むそなたや音羽山。瀧の響も静かなる。清水寺に着きにけり。清水寺に着きにけり。」
桜満開の春ならではの景色と、静かに流れる瀧の流れ。いかにも清水寺らしい華やかさに溢れています。
音羽の瀧にはもちろん清水が流れます。
六根清浄、所願成就を願って汲まれる、まさに「清水寺」の名の由来となっている瀧です。
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清水の舞台は修復中ですが、そこから見渡せる眺めは絶景で見飽きることがありません。
また《田村》には、清水寺周辺の名所案内と言えるセリフのやり取りがあります。
ワキ「又見え渡りたるは皆名所にてぞ候ふらん。御教へ候へ。」
シテ「さん候皆名所にて候。御尋ね候へ教へ申し候ふべし。」
ワキ「まづ南に当つて塔婆の見えて候ふは。いかなる所にて候ふぞ。」
シテ「あれこそ歌の中山清閑寺。今熊野まで見えて候へ。」
ワキ「また北に当つて入相の聞え候ふはいかなる御寺にて候ふぞ。」
シテ「あれは上見ぬ鷲の尾の寺。や。御覧候へ音羽の山の嶺よりも出でたる月の輝きて。この地主の桜に映る景色。まづ/\これこそ御覧じ事なれ。」
ワキ「げに/\これこそ暇惜しけれ。こと心なき春の一時。」
シテ「げに惜むべし。」
ワキ「惜むべしや。」
能のこの場面では、観客はこれらの言葉を聞き、役者が仰ぎ見るそれぞれの名所を、一緒に想像しながら感じます。
登場人物が遥かに見渡すのと同じように、この清水寺の本堂から京都市内をはるばる眺める時間は、いつまでもそこにとどまっていたくなるような魅力がありますね。
もちろん春だけでなく、どの季節もそのときどきに素敵な表情を見せる清水寺。
また何度でも足を運びたくなります。
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