東北院
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東北院 とうぼくいん

京都市左京区浄土寺にある時宗の寺院です。東北院は、平安時代の中ごろ、藤原道長が営んだ法成寺の東北に道長の娘(長女)上東門院彰子によって長元3年(1030)に建造された三昧堂です。山号は雲水山で、かつては法成寺に付属していた天台宗の寺院です。
康平元年(1058)2月、法成寺が焼失したとき、東北院も類焼し、同4年7月に再建されました。このころの東北院の位置は『拾芥抄』に「一条ノ南、京極ノ東、上東門院御所、元法成寺内東北角」とあり、現在の本禅寺・清浄華院・盧山寺(?)のいずれかのあたりのようです。こちらも承安元年(1171)に焼失し、その後再建されましたが、江戸時代の元禄5年(1692)12月に火災にあい、当時上京の寺町通今出川下ルにあった真如堂や極楽寺・迎稱寺ともに翌年左京区浄土寺真如町に移転しました。

この時に和泉式部ゆかりの“軒端の梅”の後継といわれる白梅も移され、弁財天女を祀る本堂の脇で咲きほのかに香っています。

謡曲『東北(とうぼく)』

世阿弥元清の作、鬘物(かづらもの)で幽玄を基調としています。
「年が改まり、また春が来て、東国より行脚(あんぎゃ)の僧がこの東北院を訪れ、梅の木のあまりの美しさに魅了され、その由来を尋ねてみると、その昔、上東門院に仕えた和泉式部が手ずから植え、寵愛した軒端の梅であると聞いて、感激を新たにした。
僧が木陰に坐って法華経を唱えて供養していると、朧月夜(おぼろづきよ)の闇の合間から和泉式部の霊が現れて昔日の東北院での生活の様子を語り、詠歌の功徳を説いて歌によって得た仏の道を語って消えた。旅の僧は夢からさめると仄かに梅の香りが漂っていた。……」

梅花香

和泉式部が梅の花を愛で詠んだ歌に、次のような歌があります。

むめ(梅)の香を 君によそへて みるからに
花のをりしる 身ともなるかな
『和泉式部続集』
―梅の香をあなたの袖の香になぞらえて梅を見るばかりに、花の咲く時節を知る身となったのだ。

むめ(梅)が香(か)に おどろかれつつ 春の夜(よ)の
闇(やみ)こそ 人はあくがらしけれ
『千載和歌集』
―梅の香に恋人の袖の香を思い出し、はっとさせられる。「あやなし」と言われた春の夜の闇こそ人の心を虜にするものだ。

梅の香が歌として詠まれた理由として、当時の時代背景が考えられます。平安時代にはいると、それまで仏教の清めのための香が、貴族たちは日常的お洒落の道具として使われるようになりました。薫衣(くぬえ)香のように着物に焚き染めたり、薫物合わせなどの遊びが誕生しました。

平安朝の文化で生み出された日本独特の香り文化の誕生で、現代でも再現できる薫りという練香が使われたといいます。和泉式部も愛でた梅の香は源氏物語にも「梅が枝」で当時の貴族たちの薫物合わせの様子が残され、どれが一番とも決められない中で、紫上が三種おつくりになった中でも、梅花香が華やかで若々しくそのうえ冴えた気の添っているのもでしたので「この季節の微風に焚き混ぜるのもとしてはこれに勝るものはないでしょう。」と審判を託された兵部卿宮は褒められたという場面が残っています。

所在地
〒606-8414
京都市左京区浄土寺真如町83
山号
雲水山
宗派
時宗
開基
上東門院彰子
交通アクセス
市バス「真如堂前」下車、徒歩10分
市バス「岡崎道」下車、徒歩8分
カテゴリー

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