総見院
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総見院 そうけんいん

織田信長 菩提寺

戦国時代、本能寺の変より百日後に、大徳寺において織田信長の大葬礼が執りおこなわれました。喪主は信長の遺児で、秀吉の養子・秀勝が務めました。その後、織田信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立したのが総見院です。総見院という名前は、信長の戒名からつけたものといわれています。
本堂内には「織田信長公坐像」重要文化財が安置されています。
また、信長公をはじめ、徳姫(信長の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族7基の五輪石や墓碑が並びます。
大徳寺の22ある塔頭寺院の一つに数えられます。

※通常非公開です。

趣の異なる三席の茶室

表千家ゆかりの3つの茶室が並びます。
香雲軒(こううんけん)は、表千家の十三代・即中斎の好みの茶室。
龐庵(ほうあん)の扁額の文字は、表千家の十四代・而妙斉(じみょうさい)の筆によるものです。また、寿安席(じゅあんせき)は、お寺の再建時に実業家の山口玄洞(やまぐちげんどう)により寄進されたものです。
お茶に所縁のある秀吉が作ったお寺だけあって、本堂の前庭には茶筅塚(ちゃせんづか)も祀られています。

胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)

境内には、秀吉が千利休から譲り受けたものとされている胡蝶侘助椿(こちょうわびすけつばき)があります。樹齢400年以上、現存する侘助椿の中では最古の株といわれています。

所在地
〒603-8231
京都府京都市北区紫野大徳寺町59
創建年
1583年
宗派
臨済宗大徳寺派
本尊
織田信長坐像
開基
古渓宗陳
時間
通常非公開
駐車場
有り
交通アクセス
市バス「大徳寺前」下車すぐ
カテゴリー

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