高瀬川 たかせがわ
角倉了以がつくった京都と伏見を結ぶ運河
高瀬川は1611年に商人の角倉了以・素庵父子によって京の街と伏見を結ぶためにつくられた運河です。現在は鴨川において京都側と伏見側で分断されていて、上流は「高瀬川」、下流はを「東高瀬川」「新高瀬川」と呼ばれています。
高瀬川の今
高瀬川は京都市内の東側を流れる有名な鴨川のすぐ西側を並行するように流れる南北の川です。昔は荷物の揚げ降ろしをする船入は9カ所ありましたが、現存するのは木屋町二条にある一之舟入のみです。一之舟入を出たところでは復元された高瀬舟を見ることができ、春になると桜の名所としても賑わいます。また、周辺には数多くの幕末の事変を示す石碑が残されています。
※当サイトに掲載の内容はすべて掲載時点での情報です。変更となる可能性がありますので、お出掛けの際は念の為事前にご確認ください。