正伝寺 しょうでんじ
- 吉祥山
- 正伝護国禅寺
歴史
正伝寺は、臨済宗南禅寺派の諸山の格式を持つ寺で、山号は吉祥山。寺号は詳しくは正伝護国禅寺。本尊は釈迦如来。
1268年、東巌慧安の師である兀庵普寧を開山として烏丸今出川に創建したのが始まりといわれています。兀庵は中国(南宋)からの渡来僧で、1265年に帰国していましたが、東巖が師の兀庵を開山に勧請したそうです。
寺は比叡山延暦寺の衆徒によって破却され、東巖は鎌倉の聖海寺に移り、同地で1277年に亡くなりました。
1282年に再興され、同年に賀茂社の社家・森経久の援助により寺は西賀茂の現在地に移りました。室町時代には天皇家、将軍家の帰依を受けましたが、応仁の乱の兵火により衰退。豊臣秀吉や徳川家康の援助を受け復興し、江戸時代には塔頭5寺を有していたそうです。
獅子の児渡しの庭
本堂前の枯山水の庭園は小堀遠州作と云われています。白砂とサツキ等の刈込だけが 7・5・3と並ぶ庭園で、バックには遠く比叡山が見える絵画のような構図です。白壁越しに比叡山を望む借景式庭園で「獅子の児渡しの庭」と呼ばれています。
伏見城の戦いの名残が今も残る「血天井」
本堂は入母屋造、こけら葺き。安土桃山時代に伏見城本丸の御殿の1つが移建されたものと考えられています。障壁画は狩野山楽一派の筆と推定されています。また、廊下の天井は「血天井」といわれ、伏見城落城の際に自刃した鳥居元忠らの血痕が残った廊下の板を用いたものと伝えられています。
方丈の襖絵
方丈の各室の襖絵は、慶長十年(1605)頃、京都狩野派の狩野山楽が伏見城本丸御殿を修理した際、徳川家康の発注により画かれた貴重なものです。山楽は狩野元信、松栄、永徳と継承した豪華な画風を「京都狩野派」として残した人でもあります。
ここに残っている襖絵は、中国杭州西湖(現在の浙江省杭州市)の景色です。(重要文化財)
- 所在地
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〒603-8847
京都府京都市北区西賀茂北鎮守菴町72 - 正式名
- 吉祥山 正伝護国禅寺
- 創建年
- 1268年
- 山号
- 吉祥山
- 宗派
- 臨済宗南禅寺派
- 本尊
- 釈迦如来
- 開基
- 東巌慧安
- 文化財
- 本堂(方丈) 絹本著色兀庵和尚像 靖庵筆 自賛あり 絹本著色兀庵和尚像 自賛あり 紙本墨画淡彩楼閣山水図 58面(室中、上一之間、上二之間、下二之間) 附:紙本著色草花図3面(仏間)、紙本金地著色菓子図4面(下一之間違棚天袋) 東巌和尚蒙古降伏祈祷文 1幅1巻 先聖先賢聖道一轍義 東巌慧安筆 東巌和尚賜号勅書 九条袈裟(田相黄地鳥丸格子文綾 条葉白地牡丹顕紋紗)附:白地幸菱文綾袈裟包 九条袈裟(田相白地牡丹文顕紋紗 条葉紺地牡丹顕紋紗)附:黄地花唐草文錦袈裟包
- 交通アクセス
- 市バス「神光院前」下車
- 公式Webサイト
- http://shodenji-kyoto.jp/
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