
だいこくじ
大黒寺
歴史
大黒寺は真言宗東寺派の寺であり、元々はは長福寺といわれていましたが1615年に薩摩藩主島津義弘の命をうけたのち、武運長久の祈願所となり、これを機に「大黒寺」と寺名を改めましたが、薩摩藩とのゆかりが深く、「薩摩寺」とも呼ばれています。
本尊聖観音立像や出世大黒天立像は空海が大黒寺を創立したときに安置したものだと伝えてられています。
金運の寺
ご本尊の大黒天様は財運と出世、子孫繁栄の神様。
境内には「金運清水」という名前の水が湧き出てており、大黒天に供えられる霊験あらたかな水といわれ、金運、子孫繁栄、厨房守護のご利益があるとされています。
薩摩藩の祈願所
幕末に西郷隆盛や大久保利通などが国事を論じたという一室があるほか、西郷隆盛が建てたという、有馬新七ら寺田屋事件で犠牲となった九烈士の墓碑、伏見義民の文珠九助(もんじゅうきゅうすけ)、木曾川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老・平田靭負(ゆきえ)の墓などがあります。
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