平等寺 びょうどうじ

  • 因幡堂
  • 因幡薬師

京都十三仏/薬師如来

997年因幡国司橘行平が帰洛の途中、夢のお告によって因幡賀留津の海中から一体の薬師如来像をひきあげました。仮堂に安置しておきましたが、薬師は行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、1003年に行平は自宅を改造してこれを祀ったといわれています。霊験ある薬師如来として、歴代天皇をはじめ、一般庶民の深い信仰をうけ、承安元年(1171年)高倉天皇により「平等寺」と命名。一般的には「因幡堂」「因幡薬師」の愛称で知られています。

本堂にはご本尊である薬師如来立像が安置され、度重なる火災の被害に遭いながらも難を逃れ、創建当初のもの。藤原時代の一木造りの優品で、国の重要文化財指定され、また、日本三大如来の一つにも数えられています。他には長野善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨清涼寺の釈迦如来があります。

「贔屓(ひき)」127年ぶりに地に降りる

平等寺の屋根瓦に据えられていた「贔屓」の置物が本堂の改修のため127年ぶりに地上に降ろされ、境内に展示されました。伝説では贔屓とは竜が生んだ9頭の神獣のひとつで、重い荷を好んで背負うと言われており、気に入った者に肩入れすることを意味する贔屓の語源となったそうです。そういった特性から贔屓は通常柱などを支える台として使われることが多いそうですが、平等寺では屋根に置かれており、その理由は不明だそうです。

がん封じ

「東の国の人々を救うためにやってきた」という因幡の薬師如来。病気平癒や子授け、安産の仏様としても多くの人々に親しまれていますが、特に“がん封じ”のご利益を求めてお参りに来られる方が多いのが因幡堂の特徴です。医療も十分に発達していない時代、不治の病として恐れられていた“癌”を患った人々の多くが最後に因幡薬師にすがったことから、がん封じの薬師如来として現在まで伝わってきているのだそうです。毎月8日には薬師護摩を焚き、癌封じの祈願をされています。

ご縁日の手作り市

毎月8日の薬師如来のご縁日には、境内で手作り市が開かれます。かつて因幡堂の境内では歌舞伎や狂言が演じられ、多くの参拝者でにぎわっており、幕末には市の「見世物小屋」の虎に吼えられた新撰組の芹沢鴨が「シシ(獅子・勤王の志士)より怖い」とおどけたと言う逸話も残っています。
しかしそんな賑やかさも戦後急速に失われ、また地蔵堂から地蔵菩薩が1体盗まれる事件もありました。再びこのにぎわいを取り戻そうと、地蔵堂の修理に訪れた左官屋さんの発案で、2001年にこの手作り市が行われるようになったそうです。

所在地
〒600-8415
京都市下京区不明門通松原上ル因幡堂町728
TEL
075-351-7724
正式名
平等寺
創建年
1003年(長保5年)
山号
福聚山
宗派
真言宗智山派
本尊
薬師如来
開基
橘行平
文化財
木造薬師如来立像・木造釈迦如来立像・木造如意輪観音坐像(国宝・重要文化財)
料金
無料
交通アクセス
市バス「烏丸松原」下車,徒歩約1分
地下鉄「五条/四条」駅下車,徒歩約5分
阪急電車「烏丸」駅下車,徒歩約5分
公式Webサイト
https://inabado.jp/
備考
毎月8日にお寺の境内で「因幡薬師てづくり市」を開催
カテゴリー

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