金閣寺 きんかくじ
- 鹿苑寺
歴史
元々この地には、鎌倉時代の1224年(元仁1)に西園寺公経が西園寺を建立し、あわせて山荘「北山第」を営んでいました。
鎌倉幕府滅亡直後、時の西園寺家当主・公宗が、後醍醐天皇の暗殺を企てたという容疑で処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収されてしまいます。この為、西園寺も次第に修理が及ばず荒れていきました。
1397年(応永4)、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、改築と新築により一新。この北山山荘は当時「北山殿」、又は「北山第」と呼ばれており、その規模は御所に匹敵し、当時義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていましたが、実権は手放さずに政治中枢を集約、北山殿にあって政務を行っていました。
義満の死後、義持によって北山殿は舎利殿を残して解体されますが、義満の遺言により禅寺とされ、義満の法号「鹿苑院太上法皇」から鹿苑寺と名付けられました。夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としています。
応仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失してしまいました。
金閣は、第二次大戦前から(旧)国宝に指定されていましたが、1950年(昭和25)、学僧・林承賢の放火により炎上(金閣寺放火事件)。建物は全焼し、国宝の足利義満像も焼失しました。尚、屋上にあった鳳凰は火災以前に取り外されていた為に焼失をまぬがれ、現存しています。この事件は、三島由紀夫の小説『金閣寺』、水上勉の小説『五番町夕霧楼』・『金閣炎上』の題材にもなっています。
1955年(昭和30)に明治時代に行われた解体修理時の資料を基に復元され、1987年(昭和62)には金箔を張り替える修復工事を終えました。
金閣(舎利殿)
金閣の2層と3層は漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。1層は寝殿造で法水院、2層は武家造で潮音洞、3層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物です。
ミシュラングリーンガイド
【金閣寺】が三ツ星に選ばれています。
御朱印
※いただける御朱印の種類は、期間によって変わる場合があります。
- 所在地
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〒603-8361
京都市北区金閣寺町1 - TEL
- 075-461-0013
- 正式名
- 鹿苑寺
- 創建年
- 1397年(応永4)
- 山号
- 北山(ほくざん)
- 宗派
- 臨済宗相国寺派
- 本尊
- 観音菩薩
- 開基
- 足利義満、夢窓疎石(開山)
- 文化財
- 絹本著色足利義満像・絹本著色達磨図・大書院障壁画ほか(国・重要文化財) 庭園(特別史跡、特別名勝)
- 料金
- 大人・高校生 500円
小・中学生 300円 - 時間
- 9:00~17:00
- 駐車場
- 有り(250台)
- 交通アクセス
- 市バス「金閣寺道」下車,すぐ
- 公式Webサイト
- https://www.shokoku-ji.jp/kinkakuji/
★★★ ミシュラングリーンガイド 三ツ星
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