寺田屋 てらだや

寺田屋騒動

薩摩藩には、島津久光を中心とする温和派と勤王討幕を主張する急進派との二派がありました。久光は急進派の動きを押さえようと兵千余名を率い京都へ入洛しようとしていました。これを知った有馬新七ら急進派同士は1862年4月23日、関白九条尚忠、所司代、酒井忠義を殺害しようと薩摩藩の船宿であった寺田屋伊助方に集まりました。これを知った久光は藩士奈良原らを派遣し新七らの計画を断念させようと説得に努めましたが失敗。遂に乱闘となり新七ら7名が斬られ、2人は重傷を負い翌日に切腹しました。

平成の寺田屋騒動

現在寺田屋と呼ばれている建物には、事件当時の「弾痕」や「お龍が入っていた風呂」と伝えられているものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされていました。しかし、現在の寺田屋の建物は1905年に登記されており、特に湯殿がある部分は1908年(お龍はその2年前に病没)に増築登記がされているという点などから、専門家の間では以前から再建説が強くありました。京都市は当時の記録等を調査し、幕末当時の建物は鳥羽・伏見の戦いの兵火で焼失し、現在の建物は後の時代に当時の敷地の西隣に建てられたものであると結論を出しました。

所在地
〒612-8045
京都市伏見区南浜町263
TEL
075-622-0243
正式名
寺田屋
料金
大人 400円
宿泊 6500円(要予約)
時間
10:00~15:40
駐車場
有り(2台)
交通アクセス
京阪電車「中書島駅」下車、徒歩約5分
市バス「京橋」下車、徒歩約2分
京都駅よりタクシーで約15分

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