フォトグラファー , ライター , 口コミレポーター

kojiro さん

投稿数 19

石川丈山の草庵「詩仙堂」

投稿日 2014/07/27

江戸時代初期の文人・石川丈山(いしかわじょうざん)は三河国の徳川家に仕える武士の家に生まれ徳川家康の家臣として大坂夏の陣に出陣しましたが、命令に背いたことから家康の怒りに触れ浪人となり、その後、林羅山の勧めによって藤原惺窩(せいか)...

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独特の工法で組まれた光悦垣「光悦寺」

投稿日 2014/07/27

大虚山光悦寺(たいきょざんこうえつじ)がある洛北鷹ヶ峰の地は、元和元年(1615年)に徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦が移り住んだ所です。 本阿弥光悦の生家である本阿弥家は、室町時代から刀剣を鑑定してきた名家であったことから、光悦...

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迷いの窓、悟りの窓「源光庵」

投稿日 2014/07/27

平安時代には都の中心を南北に延びていた朱雀大路、現在は千本通りとその名も変わり北区鷹峰まで続いています。 京の街を南北に延びる千本通りは、今宮通りと交差する辺りから鷹峯街道(たかがみねかいどう)とも呼ばれています。 緩やかな上り坂の...

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吉野太夫ゆかりの寺を訪ねる「常照寺」

投稿日 2014/07/26

江戸時代初期、本阿弥光悦が移り住んだ鷹ヶ峰。 鷹ヶ峰の地にある寂光山常照寺(じゃっこうざんじょうしょうじ)は、元和二年(1616年)に本阿弥光悦から土地の寄進を受けた後、光悦の子・光瑳の発願によって、身延山久遠寺第二十一世・寂照院日乾を招...

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豊臣秀吉が再興した桜の寺「醍醐寺」

投稿日 2014/07/26

京都の南東にある笠取山(醍醐山)には、豊臣秀吉が歌に詠んだ深雪山(みゆきさん)を山号とする真言宗醍醐派の総本山「醍醐寺」があります。 醍醐寺は貞観十六年(874年)に空海の孫弟子である理源大師聖宝(しょうぼう)が上醍醐山に堂宇を建て、准...

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平安時代からの庭で山科の春を愉しむ「勧修寺」

投稿日 2014/07/26

山科区勧修寺仁王堂町の真言宗山階派大本山「勧修寺」(かじゅうじ)は、醍醐天皇が生母である藤原胤子(ふじわらいんし)追善のため、昌泰三年(900年)に外祖父である宮道弥益(みやじいやます)の邸宅を寺と改めたのが始まりといわれています。 平...

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小野小町ゆかりの寺を訪ねる「随心院」

投稿日 2014/07/26

京都市の南東に位置する山科区小野は、平安時代に小野一族が栄えた場所と伝えられています。 小野一族といえば、古くは大和朝廷の外交の任をもって二回も隋に渡った小野妹子、平安初期にあの世とこの世を行き来し閻魔大王に仕えたとの逸話が残る公卿...

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犬に代わって鼠・鳶・狐・猿が守る「大豊神社」

投稿日 2014/07/21

左京区鹿ケ谷の大豊神社は仁和三年(887年)に勅命により藤原淑子が宇多天皇の病気平癒祈願のため少彦名命を椿ヶ峰に祀ったのが始まりとされています。 平安時代の絢爛豪華な本殿や末社・拝殿・絵馬堂など当時の社殿はすべて、建武の内乱や応仁の乱で...

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洛陽六阿弥陀巡拝(らくようあみだめぐり)の四番札所「安祥院」

投稿日 2014/07/21

京都市東山区五条通東大路東入遊行前町にある「安祥院」(あんしょういん)は天慶五年(942年)朱雀天皇の勅願によって、天台座主尊意僧正が乙訓郡大藪郷(現在の京都市南区久世大藪町)に創建した大薮山仁王護国院という天台宗寺院が始まりといわれて...

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