新撰組ゆかりの地をめぐる

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新撰組ゆかりの地をめぐる

幕末から明治維新にかけて、日本を変えるべく奔走した維新志士たちと徳川幕府を守るべく立ち上がった幕府軍との間で、京都は大きな歴史の波に飲み込まれました。その騒然とした京の街の治安を維持する警護活動をしていたのが「新撰組」という剣豪集団です。「誠」一文字の旗に、浅葱色のだんだら模様の羽織を着た姿は、テレビや映画などで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
幕府軍と戦った熱き志を持った新撰組隊士たちの生きた証をめぐります。

  1. 壬生寺

    壬生で結成された新撰組はもともと「壬生浪士組」という名前で、この壬生寺の境内で武芸や大砲の訓練を行なったそうです。また、隊士たちが壬生狂言を鑑賞したなどの記録も残っています。境内の壬生塚には近藤勇の胸像や、芹沢鴨、平山五郎など11名の隊士のお墓があります。壬生寺の近くには新撰組の屯所跡の八木邸、前川邸も当時のままの形で残っています。

    壬生寺

    徒歩 【約1000m】

  2. 角屋

    壬生屯所から近かったこともあり、ここ角屋でたびたび宴会を開かれていました。新撰組は、玄関の刀掛けに刀を置かず部屋に持ち込んでいたそうで、緞子の間など3カ所に新撰組による刀傷が残っています。また、1863年、新選組初代局長・芹沢鴨と新選組は、この角屋の「松の間」で酒宴を催し、その後、帰宅した壬生の屯所「八木邸」で芹沢鴨は寝込みを襲われて殺害されます。松の間での宴会が最後の晩餐だといわれています。

    角屋

    徒歩 【約700m】

  3. 西本願寺

    新撰組隊士が増え壬生屯所では手狭になったことから、1865年西本願寺へと屯所を移動します。江戸幕府側と敵対していた長州藩と関係が深かったことから、幕府側の新撰組が彼らを牽制するためにここに移したともいわれています。境内では大砲を轟かせた実弾射撃や、家畜まで飼い、お寺としては大変迷惑だったそうです。2年後には不動堂屯所へ移転するのですが、その費用も本願寺が負担したと言われています。

    西本願寺

    市バス「七条堀川」乗車、「東山安井」下車 【約26分、下車後徒歩約10分】

  4. 京都霊山護国神社

    明治維新を目前にして倒れた千人を超える有名無名の志士達が祀ってあります。龍馬を筆頭に木戸孝允、久坂玄瑞、中岡慎太郎、武市半平太、真木和泉守など幕末の志士たちの墓も勢ぞろい。小高い山の途中にある龍馬のお墓からの景色は素晴らしく、京都市街を見下ろすことができます。隣接する「霊山歴史館」には、龍馬を斬ったと伝わる刀や高杉晋作の鉄扇など多くの史料を展示されています。

    京都霊山護国神社

    市バス「清水道」乗車、「岡崎道」下車 【約15分、下車後徒歩約10分】

  5. 金戒光明寺

    幕末に幕府から命を受け京都守護職となった会津藩主松平容保(かたもり)が本陣を構えたのがこの金戒光明寺であり、松平容保公が京都の治安のための取締りに任命したのが新撰組でした。このことから新撰組発祥の地とも言われています。山の北東に設けられた300坪もの「会津藩殉職者墓地」には、幕末に戦死した会津藩士352名が眠っています。

    金戒光明寺

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