京都の節分2024

2024年 恵方は「東北東」

京都の節分~春の訪れを待つ~

松尾大社の節分の様子1 松尾大社の節分の様子3 松尾大社の節分の様子2

節分とは季節のはじまり立春・立夏・立秋・立冬の前日をさし、四季の節目(季節を分ける)を意味し、それぞれ前日に4回ありましたが、旧暦では立春が年の始まり「お正月」にあたり、前日は大晦日にあたることから、とくに尊ばれ節分といえば春の節分のみを指すようになったといいます。
平安時代の宮中では古代中国から伝わった「追難(ついな)の儀式」鬼やらいが大晦日に祭文を称える陰陽師、黄金四つ目の面をつけて盾矛を持ち、人の倍の眼力で睨み「鬼やらう」と大声で祓う方相氏や桃の木の弓で葦の矢を北東と北西に射て厄を祓い清める上卿らによって門外に向かって「鬼やらう」と厄を祓う行事が執り行われていました。室町時代中期以降は桃の弓や葦の矢の代わりに、霊力が宿るとされた豆が使われ、豆を撒いて悪霊退散を願い、福を呼び込む民間儀式に変遷していったと言われています。
節分といえば豆まきですが、京都にはその昔から鞍馬の「毘沙門天のお告げで大豆を鬼の目に投げつけ鬼を退治」という話や深泥池(みどろがいけ)の「豆塚」、貴船の「枡塚」のお話が残りますが「魔の目=魔目」に豆を投げつけて「魔を滅する=魔滅(まめ)」に通じるということと伝わっています。「鬼は外、福はうち」と福豆で豆まきをし、歳の数だけまたは1つ足して食べて、柊鰯を戸口に立て、匂いに誘われた鬼が柊で目をつくと言う厄除けをし、邪気を追い払い、無病息災を願います。
京都の節分会、節分祭は無形文化財の神楽や節分狂言が奉納され、伝統的な追難行事や福豆まきが行われます。お正月の初詣のように大勢の人で賑わいます。厄払いと共に福もいただきに、暖かくしてお出掛け下さい。

四方参り

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じ、陰と陽の境目にあたる北東(丑寅:うしとら)の方角は気が不安定と考えられ、鬼が出入りする方角を鬼門として平安京遷都のころより、京都では御所の四方の鬼門を護り、邪気を祓います。邪気(鬼)は北東の表鬼門にあたる「吉田神社」に現れ、追われ、次に南東の「八坂神社」(または伏見稲荷大社)に現れ、追われ、南西の裏鬼門「壬生寺」に現れ、追われ、最後に北西の「北野天満宮」に現れます。そして北野天満宮では鬼を追わずに末社の福部社の中に鬼を閉じ込めてしまいます(鬼は後に吉野で改心するそうです)。京都では厄除節分会に鬼門にあたる四つの神社仏閣にお参りをすることを「四方参り(よもまいり)」といい、千年程前から邪気を祓い、一層の福を招くと言われています。

節分おばけ

京都では節分に「お化髪(おばけ)」がでます。小さい頃、髪の毛にまげをつけてもらい、カンザシをさし、町内のお地蔵さまにローソクを供えに歩いたり、普段と違う仮装をして鬼の目をだまし、魔よけ、厄払いをし、鬼をやりすごします。近頃も「節分おばけ」は京都祇園や上七軒、宮川町をはじめ、大阪北新地などのお座敷では盛んに行われていますが、ひと昔前の吉田さんの仮装行列のような「節分おばけ」のパレードは一部にしか残っていません。

新橋・花見小路通のあたりでは、お座敷帰りの舞妓はん・芸妓はんの「おばけ」にひょっとしたら出会えたりするかもしれません。

節分の夜、恵方に向かって無言で巻き寿司をまるかぶりすると、その年は幸運がめぐってくると昔から言い伝えられています。
関西地方で広く親しまれている風習です。

京の黒豆 北尾の節分の福豆

節分限定販売磯の香豆

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