琳派ゆかりの寺之内界隈をめぐる
世界の芸術に大きな影響を与えたといわれる琳派の芸術家たちとその作品。
京都には琳派とのつながりの深いお寺が多く残ります。なかでも寺之内の界隈にはそういったお寺が集まっています。琳派ゆかりのお寺を中心に寺之内の界隈をまわってみましょう。
「四条烏丸」から京都市バス「12」に乗車し、「堀川寺之内」で下車します。3分ほど歩くと第一の目的地の妙蓮寺です。
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琳派の祖、本阿弥光悦筆の「立正安国論」「始聞仏乗義」所蔵されています。ほかにも長谷川等伯一派の襖絵が有名です。
妙蓮寺は鎌倉時代の僧日像によって創建されました。天文法華の乱で焼失し、堺に避難しましたが、天文11年(1542年)後奈良天皇は法華宗帰洛の綸旨を下し、妙蓮寺は同年大宮元誓願寺通(現京都市上京区)に再建されました。徒歩 【約5分】
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本法寺の庭園は「三つ巴の庭」と呼ばれ、本阿弥光悦の作と言われる名庭です。国の名勝にも指定されています。光悦筆の「法華題目抄一巻」「如説修行抄一巻」や長谷川等伯筆「佛涅槃図一幅」など多くの重要文化財が宝物館に所蔵されています。
徒歩 【約3分】
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その昔、寺へ入った皇女へ御所から人形が贈られてきたため、多くの人形を保存しています。そのため人形の寺として知られるようになり、一般からも供養として人形が納められるようになりました。このことから『百々御所(どどごしょ)』とも称されています。
徒歩 【約3分】
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琳派の芸術家として有名な尾形光琳ゆかりの寺です。書院前の庭園「光琳曲水の庭」は尾形光琳の屏風絵を元に作られたといわれています。宝物殿には光琳筆の「寿老松竹梅三幅対」などが所蔵されています。
9院ある塔頭のなかのひとつ泉妙院には琳派尾形光琳と、琳派の陶芸家として有名な光琳の実弟・尾形乾山の墓があり、門の外から見ることが出来ます。徒歩 【約5分】
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一時期は本能寺とともに織田信長が上洛した際の宿泊所として使われ、千利休による茶会なども催されていたお寺です。
徒歩 【約15分】
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足利三代将軍義満が発願し、後小松天皇の勅命を受け、1392年(明徳3)に完成しました。応仁の乱の兵火により諸堂宇は焼失しましたが、禅宗行政の中心地として多くの高僧を輩出し、室町時代の禅文化の興隆に貢献しました。あの金閣寺、銀閣寺は相国寺派のお寺です。
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