東寺
京都のシンボルともいえる、五重塔が佇む東寺。この日本一高い木造建築物でもある五重塔は落雷などで何度も焼失しましたが、1644年徳川家光によって再建されたものです。
また、境内の北に位置する塔頭の観智院は、江戸時代に家康が黒印状を以って当院を真言一宗の勧学院と定めたことでも知られています。
江戸幕府を開き、約260年間太平の世が続く礎を築いた徳川家康。
大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、天下を統一。その後、伏見城で征夷大将軍の宣下を受け、二条城を築城するなど、京都にも多くの足跡を残しています。
二条城、南禅寺、金地院、圓光寺など徳川幕府の栄華を語る歴史と文化財を巡り、都に残る天下人の面影を訪ねます。
京都のシンボルともいえる、五重塔が佇む東寺。この日本一高い木造建築物でもある五重塔は落雷などで何度も焼失しましたが、1644年徳川家光によって再建されたものです。
また、境内の北に位置する塔頭の観智院は、江戸時代に家康が黒印状を以って当院を真言一宗の勧学院と定めたことでも知られています。
市バス 「東寺道」乗車〜「京都駅前」下車,徒歩約7分
秀吉の没後、東本願寺第12代教如が徳川幕府を開いた家康から、現在の京都烏丸六条に寺地を与えられたことに始まります。その後、焼失と再建を繰り返し、現在の建物は明治28年に再建されたもの。親鸞聖人の御真影を安置する御影堂は、木造建築物では世界最大級の大きさで、阿弥陀堂、御影堂門などの6棟が国の重要文化財に指定されています。
市バス 「京都駅前」乗車〜「二条城前」下車
1603年家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したものです。徳川家康の将軍就任の拝命の賀儀や、江戸幕府の終焉へとつながる大政奉還の表明など、様々な歴史の舞台となりました。
1994年ユネスコ世界遺産に登録され、徳川家の栄枯盛衰と日本の歴史を見つめてきた貴重な歴史遺産と言えます。
地下鉄東西線 「二条城前駅」〜「東山駅」下車,徒歩約8分
江戸時代、徳川家から最も多く援助を受けた寺院でもあり、家康が浄土宗の帰依者であったため、徳川家の香華所と定められました。また家康は母の於大の方の菩提を弔うために寺領を寄進し、さらに徳川秀忠は1619年三門を建立。1633年には火事で大半の建物を失いますが、徳川家光によって再建され、1641年には完成に至っています。
市バス 「知恩院前」乗車〜「東天王町」下車,徒歩約10分
京都・東山に建つ臨済宗の巨刹・南禅寺。
境内全体が国の史跡に指定されているのが特徴で、国宝の方丈や三門をはじめとした重要文化財、国名勝の方丈庭園など、境内には見どころが豊富です。この三門の中には、徳川家康と建築した藤堂高虎、南禅寺の住持で家康の知恵袋と言われた以心崇伝の像があります。
徒歩 約3分
南禅寺の数ある塔頭の一つ、金地院。
家康の遺髪と念持仏を安置しており、家康の遺言により作られた東照宮は京都唯一の権現造りです。拝殿天井の「鳴龍」は狩野探幽の筆、36歌仙の額は土佐光起の筆。また家康が1601年に再建した伏見城の旧殿が3代将軍家光の時代に金地院へ移築され、現在も方丈として残っています。
市バス 「南禅寺・永観堂道」乗車〜「一乗寺下り松町」下車,徒歩約10分
慶長6年、家康が教学のために、足利学校の僧・閑室元佶を招いて伏見に建立し、圓光寺学校としたのが起こりです。学術書を出版する機能も果たし、教育レベルの発展に貢献。今でも圓光寺には出版事業に使用された木版が現在も残っています。そうした家康と圓光寺創建のゆかりから、家康のお墓が造られました。また、 “額縁庭園”とも称される美しい「十牛之庭」も有名です。
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