大念仏狂言特集

大念仏狂言

大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とは、平安時代末期に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が始めた融通念仏の教えを広めるために作られた念仏狂言のことをいいます。

融通念仏の教えとは、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合し合う立場から、口称の念仏で浄土に生まれるという教えです。

京都の壬生寺、清凉寺、千本ゑんま堂、神泉苑には融通念仏の中興者である円覺上人による大念仏狂言が伝えられています。

  • 神泉苑大念仏狂言舞台

壬生狂言

壬生狂言は、正安二年(1300年)壬生寺において円覺(えんかく:1223~1311年、壬生寺中興の祖)が群衆を前に法会「大念仏会」という持斎融通念仏を開いた際、後ろの者にもわかるよう、声ではなく身振り手振りで仏の教えを説いたのが始まりとされる無言劇です。

円覺は鎌倉時代中期の律宗の僧で、唐招提寺24世長老に就くも聖徳太子による融通念仏執行の夢告に従い、1258年に上洛して、壬生寺にて初めて融通念仏を厳修されたと伝えられています。

円覺が始めた無言劇は、良忍(りょうにん1073~1132年、融通念仏宗の開祖)の融通念仏と地蔵信仰を結びつけたもので、この狂言を始めたことから、壬生寺の地蔵信仰が盛んになったそうです。

壬生寺

壬生狂言は江戸時代に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、能や狂言、物語などから色々と新しく取材され、現在上演されているのは30ほどの演目です。娯楽的な演目の中にも勧善懲悪・因果応報の理を教える宗教劇としての性格を残しています。

さて、円覺が始めたとされる壬生狂言は、正式には「壬生大念佛狂言」といい、「壬生さんのカンデンデン」という愛称でも親しまれてきました。これは、一般 の能狂言とは異なり、鉦・太鼓・笛の囃子に合わせ、全ての演者が仮面をつけ、「せりふ」を用いず無言で演じられたことによります。

この狂言は当初から、壬生村に住む人々によって伝承されてきたもので、十人衆といった郷士の家々や若中という村の組織、お囃子は壬生六斎念仏講中の人たちが担ってきました。現在も地元(壬生寺近辺)に住み、本職を他に持つ約40名の「壬生大念仏講」の方々によって伝承されています。

壬生狂言は年間3回、節分(2月初旬の節分の前日と当日の2日間)、春(4月29日~5月5日)、秋(10月の体育の日を含む3日間)の定期公演が行なわれています。

壬生狂言を始めた円覺は、嵯峨の釈迦堂、双ヶ岡の法金剛院など洛中48か所の道場で融通念仏を広めたと伝えられています。

嵯峨大念仏狂言

清凉寺

嵯峨大念仏狂言は清凉寺(せいりょうじ:嵯峨釈迦堂ともいう)の法会に行われる狂言で、鎌倉時代末、京都で円覺上人が遊戯即念仏の妙理を広めるために始めたという三大念仏狂言(壬生・嵯峨・千本)の一つで、重要無形民俗文化財に指定されています。

毎年、春(4月)と秋(10月)、清凉寺お松明式(3月)、嵐山もみじ祭(11月)に京都市右京区の清凉寺で演じられています(11月は渡月橋上流にて開催)。

正和三年(1314)の作といわれる「融通念仏縁起絵巻」には、清凉寺で行われた大念仏の様子が描かれています。

壬生狂言と同じように仮面をつけた演者が、鉦・太鼓・笛の囃子に合わせ無言で演じる狂言の演目は24ほどです。それぞれの演目は、カタモン(派手なたちまわりや勧善懲悪をテーマとした演目)とヤワラカモン(コミカルな要素を持った演目)に大別され、公演では交互に演じられます。

清凉寺釈迦堂の奥には明治時代まで円覺上人開山の地蔵院があり、母と生き別れになっていた円覺上人が修行中に出会った僧(地蔵菩薩の化身)のことばで母と再会したと伝えられています。この円覺上人の逸話は世阿弥によって能の「百萬」に仕上げられました。

千本ゑんま堂大念仏狂言

壬生狂言、嵯峨大念仏狂言と並んで京の三大狂言の一つです。他の二つが無言であるのに対して、千本ゑんま堂大念仏狂言は有言の仮面喜劇です。

ゑんま堂狂言は、定覚上人が布教のため、大念仏法会を始めた事が起こりと伝えられ、「ゑんまんどうの 狂言は だーれが先 はーじめた、 でっかい坊主が はーじめた。」と、わらべ唄の中にも紹介され、今日まで唄い継がれています。

ゑんま堂

明治、大正、昭和初期に入ると、公演は2週間以上行われ、興業主が現れ、数百人収容の桟敷席を仮設し、席料を徴収するほどの盛況で、多くの人で賑わいました。以来、今日まで継承されています。

神泉苑大念仏狂言

神泉苑

神泉苑は延暦一三年(794)、桓武天皇が平安京の造営に当たり、大内裏の南の沼沢を開いて設けられた苑地で、常に清泉が湧き出すことから神泉苑と名づけられました。

苑内には大池と中嶋のほか、乾臨閣や釣殿、滝殿などもあり、歴代の天皇や貴族が舟遊、観花、賦詩、弓射、相撲などの行事や遊宴を行ったといわれています。

天長元年(824)に、神泉苑の池畔で東寺の僧空海が善女龍王を祀って祈雨の法を修して霊験があったと伝えられ、以後神泉苑では名僧が競って祈雨の修法を行うようになりました。

神泉苑大念仏狂言は「壬生狂言」の流れを汲みます。壬生狂言と三条台若中からの奉仕出演と、神泉苑住職および総代役員からなる「神泉苑大念仏狂言講社」が結成され神泉苑大念仏狂言ははじめられました。

現在では毎年11月の第1金曜から3日間(2014年より日程が変更になりました)、神泉苑境内の狂言堂において執行奉納され、一般公開されています。

無言劇のためか台本といった正確な記録もなく、ただ、先輩のしぐさを見よう見まねと、口伝秘伝だけで行うため、その伝承に古格を守るきびしい修練と長い年月にわたる養成とが必要とされています。

また、京都の着物作家との繋がりが深く、2005年より女性用の衣装が「染・四君子工房」代表の三浦恭示氏から奉納されています。

大念仏狂言衣装

大念仏狂言地図

1.壬生寺

JR嵯峨野線「丹波口駅」下車、徒歩10分

市バス「壬生寺道」下車、徒歩3分

※京都駅からのアクセス

「京都駅」よりJR山陰本線(嵯峨野線)亀岡行乗車、「丹波口駅」下車、徒歩10分

「京都駅前」より市バス26系統または28系統乗車、「壬生寺道」下車、徒歩3分

2.清凉寺

京福電車「嵐山駅」下車、徒歩約15分

市バス・京都バス「嵯峨釈迦堂前」下車、徒歩約1分

※京都駅からのアクセス

「京都駅前」より市バス28系統、京都バス74系統乗車、「嵯峨釈迦堂前」下車、徒歩約1分

3.千本ゑんま堂

市バス「千本鞍馬口」下車、南へ徒歩すぐ

市バス「乾隆校前」下車、北へ徒歩すぐ

※京都駅からのアクセス

「京都駅前」より市バス206系統乗車、「乾隆校前」下車、北へ徒歩すぐまたは「千本鞍馬口」下車、南へ徒歩すぐ

4.神泉苑

JR「二条駅」下車、徒歩10分

地下鉄東西線「二条城前駅」下車、徒歩2分

※京都駅からのアクセス

「京都駅」よりJR山陰本線(嵯峨野線)亀岡行乗車、「二条駅」下車、徒歩10分

「京都駅」より京都市営烏丸線 国際会館行乗車、「烏丸御池」下車、京都市営東西線 太秦天神川行乗車、「二条城前駅」下車、徒歩2分

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